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逆引き 四字熟語 四文字熟語辞典 > 数字の入った四字熟語



一石二鳥 いっせきにちょう


一石二鳥 いっせきにちょう   
一つの行為で、同時に二つの利益を得る、
または目的を果たすこと。
一つの石を投げて二羽の鳥を同時に打ち落とすという意の
英語のことわざ「To kill two birds wits one stone」の和訳から。




遮二無二 しゃにむに


遮二無二 しゃにむに     
他のことは気にかけず、強引に物事をすすめること。
前後の見さかいもなくむやみに行動する事。
めったやたらに。
「二」をたちきり、また「二」は無いの意から。




二者択一 にしゃたくいつ


二者択一 にしゃたくいつ
二つのうちの一つを選ぶこと。
また、白か黒か、イエスかノーかなど、
どうしても二つのうち一方を
選択しなければならないこと。
「択」は選ぶの意。




二束三文 にそくさんもん


二束三文 にそくさんもん    
数量の多さのわりに値段がきわめて安いこと。
まとめて安く売り払う時などに用いる。
江戸時代に大きくて丈夫な金剛草履(こんごうぞうり)が
二束でたったの三文という安値で売られていたことから。
「束」は束(たば)の意。二束は「二足」とも書く。




二人三脚 ににんさんきゃく


二人三脚 ににんさんきゃく  
二人が並んで肩を組み、
互いの隣りあった内側の足首をひもで結び合わせて走る競技。
(転じて)
二人が一致協力して物事にあたる事。




二律背反 にりつはいはん


二律背反 にりつはいはん    
二つの原理が同じように正しいとみえるのに、
互いに矛盾し、両立しないこと。
同一の前提から導き出された二つの判断が矛盾すること。
ドイツ語antinomyアンチノミーの訳語で、倫理学の用語。




二股膏薬 ふたまたごうやく


二股膏薬 ふたまたごうやく 
自分の意見や主張がなく、あっちへついたり、
こっちについたりすること。
また、節操が無い人。
股の間に塗った薬は、歩いているうちに両方の足にくっつくことから。
「膏薬「は油で練り合わせた外用薬。
紙や布に塗り、傷やできものに貼って使用する。
「膏薬」は「こうやく」とも読む。




無二無三 むにむさん


無二無三 むにむさん      
たった一つしかなく他に類のないこと。
ただひたすらであること。
仏教語で、仏の道は二も三もなく、
ただ法華経(ほけきょう)のみがもとの意。
無三は「むざん」とも読む。




一唱三嘆 いっしょうさんたん


一唱三嘆 いっしょうさんたん  
詩文を読んでその素晴らしさを何度もほめること。
詩文のすぐれていることのたとえ。
一人が歌うと三人がこれに和して唱えるという意から。




一挙三反 いっきょさんはん


一挙三反 いっきょさんはん
頭の回転が速いこと。
ある一つのものを取り上げて教えれば、
それによって他の多くの事を類推して理解するように、
積極的に自分で考え求めること。
孔子が、教える価値がある人について、
「四すみのうち、一つのすみを示せば(一挙)、
あとの三つを答える(三反)ような人には、
繰り返して教えてもよい」と言った故事から。
学ぼうとする意欲が旺盛なたとえにもいう。




一刀三礼 いっとうさんらい


一刀三礼 いっとうさんらい
仏像を彫刻する態度が敬虔(けいけん)であること。
仏像を彫刻するとき一刻みするごとに、
信仰の心をこめて三度礼拝すること。
転じて、慎重で敬虔な仕事姿勢をさす。
「一刀」は、ひとたび刀を入れる、
「三礼」は、三度礼拝する意。
写経では「一字三礼」、仏画では「一筆三礼」という。




一行三昧 いちぎょうざんまい


一行三昧 いちぎょうざんまい
仏教語で、仏道修行のうち一つの修行法に決めて、
それに専念して励むこと。
特に念仏三昧をいう。
「一行」は、修行方法を一つに定めて専心すること、
「三昧」は、精神を集中し、心を安定させること。またその状態。
また、何かをする時、やり方を一つに決めて、迷うことなく行うこと。




韋編三絶 いへんさんぜつ


韋編三絶 いへんさんぜつ 
繰り返し何度も書物を読む事。
熱心に読書することのたとえ。
「韋編」は文字を記した竹札を革紐でつないだ古代中国の書物のこと、
「三絶」は三度切れるの意。
書物をとじた紐が三度も切れる事から読書に熱心なことのたとえ。




益者三友 えきしゃさんゆう


益者三友 えきしゃさんゆう  
交際して有益な三種類の友人のこと。
「益者」は為になる友人の意。 
「三友」は、直(正直な友)、諒(りょう/誠実な友)、
多聞(博学な友)のこと。




君子三楽 くんしさんらく


君子三楽 くんしさんらく    
君子の三つの楽しみのこと。
第一は、父母が健在で兄弟姉妹も無事に暮らしていること。
第二は、自分の行いが天にも人にも恥じるところがないこと。
第三は、天下の英才を集めて教育すること。
この三つをいう。




歳寒三友 さいかんさんゆう


歳寒三友 さいかんさんゆう
一年のうちの最も寒い冬の季節に友とすべき三つのもの。
松と竹と梅の三種の植物のことで、
中国の文人画で好まれる画題となっている。
「歳寒」は、冬の寒い季節。(転じて)苦難やつらい時代の意味で、
その中で節義を曲げない友のような植物のこと。
冬でも松と竹は緑を失わず、梅は香り高い花を咲かせるところから。
これらは「清廉潔白・節操」という、
文人の理想を表現したものと認識された。
また、梅・水仙・竹をいう場合もある。




再三再四 さいさんさいし


再三再四 さいさんさいし   
たびたび。
何度も何度も。
「再三」は、ふたたびみたび、何度もの意で、
「再四」は、再三をさらに強調したもの。




三寒四温 さんかんしおん


三寒四温 さんかんしおん   
冬季に、寒暖がほぼ交互に起こる事。
寒い日が三日続くと、その後は四日ほど暖かい日が続き、
これが規則的に繰り返される気象現象。
もともとは中国や朝鮮など大陸地方の言葉。
少しずつ暖かくなる気候にもいう。




三綱五常 さんこうごじょう


三綱五常 さんこうごじょう
儒教の基本道徳のこと。
三つと五つとに数えあげられる、人として守るべき大切な道。
「三綱」は、人間が重んずべきである君臣・父子・夫婦の
三つの道のこと。
「五常」は、人が常に守るべきである仁・義・礼・智・信の
五つの得目のこと。
これが儒教社会を支える基本道徳とされた。




三顧之礼 さんこのれい


三顧之礼 さんこのれい     
有能な人材に仕事を依頼するために、何度も訪問し礼を尽くすこと。
また、目上の者が目下の者を、特別に信任したり優遇したりすること。
三国時代、蜀(しょく)の君主の劉備(りゅうび)は、
何の地位も無い諸葛亮(しょかつりょう)
「のちに名宰相となる諸葛孔明(しょかつこうめい)」の
庵(いおり)を自身で三度も訪れて、
ついに軍師に迎え入れたという故事から。
  



三三九度 さんさんくど


三三九度 さんさんくど
結婚式で夫婦の契りを固める杯事のこと。
神前挙式で行われる儀式のひとつで
正式名称は「三献(さんこん)の儀」という。
新郎新婦が大中小の三つ重ねの杯を用いて、
三度ずつ、合計九度飲み合う儀式。
二人の結婚を祝福して神様から御神酒(おみき)を頂き、
それを飲むことで体の中に神様の力を取り入れるという意味がある。
「三三」は、吉数の三を重ねためでたい数。
「誓杯(せいはい)の儀」「夫婦固めの杯」ともいう。




三三五五 さんさんごご


三三五五 さんさんごご     
人々があちらに三人こちらに五人というように歩いてゆくさま。
また、家などが散在するさま。




三者鼎立 さんしゃていりつ


三者鼎立 さんしゃていりつ  
三人もしくは三つの勢力が、互いに対立しあっていること。
「鼎」は、昔ものを煮るのに使った三本脚の金属製の器。
「鼎立」は、三者の対立を表し、三方に割拠して互いに
牽制しあうことをいう。




三十六計 さんじゅうろっけい


三十六計 さんじゅうろっけい 
「三十六計逃げるにしかず」の略で、
困ったときにはあれこれ悩んだりせず、
逃げ出して身の安全を図ることが、
どんな策略よりも最上の策であるという意。
中国古代の兵法には三十六の策略があったことから、
「三十六計」はあらゆる計略のこと。




三世之縁 さんぜのえん


三世之縁 さんぜのえん
三世までも切れることのない縁。
前の世もあの世までも結ばれている、主従の縁をいう。
主従の契りは、過去・現在・未来に渡るということ。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世と、
その結びつきがきわめて強いこと。
「さんぜのえにし」ともよむ。




三千世界 さんぜんせかい


三千世界 さんぜんせかい
広大な世界や広い世間のこと。
もとは仏教語で、宇宙の広さについての単位の一つ
「大千世界」ともいう。
「三千大千世界」の略。
世界の中心には須弥山(しゅみせん)があり、それを中心にした
日・月・四大洲・四大海・六欲天などの広大な範囲が一小世界で、
これが千個集まり「小千世界」、その千倍が「中千世界」、
そのまた千倍が「大千世界」、または「三千大千世界」という。 
 



三代相恩 さんだいそうおん


三代相恩 さんだいそうおん
三代にわたって恩恵を受けること。
主君に仕えて恩を受けることが、祖父以来三代にわたっていること。
「三代」は、三世のことで祖父・父・子が家を相続する間のこと。
「相恩」は、主君・主家などから代々恩義を受けていること。




三段論法 さんだんろんぽう


三段論法 さんだんろんぽう
二つの前提命題から一つの結論を得る推論のこと。
論理学の用語で、大前提(普遍的な法則)と小前提(眼前の事実)の
二つから、共通の概念をなかだちとして、結論を導き出す推論の方式のこと。




三人成虎 さんにんせいこ


三人成虎 さんにんせいこ 
根も葉もないうわさも、
多くの人が言えば信用されてしまうという例え。
“町に虎がいる”と、
一人や二人が言ったくらいでは信じられなくても、
三人までが虎がいることを主張すれば、
聞く者は事実と信じてしまうことから。
「三人虎を成す(さんにんとらをなす)」と訓読する。




三拝九拝 さんぱいきゅうはい


三拝九拝 さんぱいきゅうはい  
三拝の礼と九拝の礼。
何度も繰り返し礼拝をして敬意を表すること。
(転じて)
何度も頭を下げて拝み物事を頼むこと。
また、手紙文の末尾に記して相手に深い敬意を表す挨拶の言葉。
  



三百代言 さんびゃくだいげん


三百代言 さんびゃくだいげん  
詭弁(きべん)を使うこと。またその人。
弁護士をののしっていうことば。
「三百」は銭(ぜに)三百文(もん)のことで、わずかなお金。
(転じて)価値が低い、低級の意。
「代言」は弁護士の事で昔は代言人といった。
明治初期には代言人の資格もないのに、他人の訴訟などを
引き受けていた人がいたため、それをののしった言葉だった。




三位一体 さんみいったい


三位一体 さんみいったい  
三つのものが結びつき、一つのようになっていること。
また、三つは別別のものだが、本質は一致するということ。
doctrine of Trinityの訳語。
もとはキリスト教の根本主義で、
三位(父である神と神の子キリストと信仰経験に示された聖霊)は
唯一神の現れ方であり、神はこの三つをもつ実体であるとする説。
三者が心を合わせて協力する場合にも用いる。




三面六臂 さんめんろっぴ


三面六臂 さんめんろっぴ  
一人で何人分もの働きをすることや、
多方面に活躍したりすることのたとえ。
また、何にでも手を出し、狡猾(こうかつ)に動き回る人のことを
悪い意味で例えて用いることもある。
本来は、三つの顔と六本の腕を備えた仏像のこと。




舌先三寸 したさきさんずん


舌先三寸 したさきさんずん
弁説の巧みなさま。
うわべだけのうまい言葉で、心や中身が備わっていないこと。
多くは、口先だけでうまく相手をあしらう意で使う。
「舌先」は言葉、弁舌。
「三寸」は約9センチで、短いことのたとえ。
「舌三寸」ともいう。




贅沢三昧 ぜいたくざんまい


贅沢三昧 ぜいたくざんまい   
やりたい放題の贅沢にふけること。
「贅沢」は金やものを必要以上に使うこと、
「三昧」は心を一つに集中して、他には目もくれないという意。




損者三友 そんしゃさんゆう


損者三友 そんしゃさんゆう
交際すると損をする三種類の友人のこと。
すなわち、人に媚びへつらう者「便辟(べんぺき/不正直)」、
人あたりは良いが誠実でない者「善柔(ぜんじゅう/不誠実)」、
口先ばかり達者な人「便佞(べんねい/口達者)」の人たちを言い、
友とするのは害であるということ。
「損友」ともいう。




朝三暮四 ちょうさんぼし


朝三暮四 ちょうさんぼし    
ずるい方法や言葉巧みに人をだましたり、愚弄(ぐろう)したりすること。
また、目の前の差にこだわって、同じ結果であることに気づかない事。
昔、ある人がサルのエサを減らす必要に迫られ、木の実を朝三個、
暮れ四個にしようとすると、サルは怒った。
しかし、逆に朝四個、暮れ三個やるというと、
サルは大喜びしたという寓話から。
愚かな者が人の言葉の内容を深く考えない事。




張三李四 ちょうさんりし


張三李四 ちょうさんりし     
身分が高いわけでもなく、有名でもない、ありふれた人のこと。
平凡でつまらない人のたとえ。
張さんの家の三男と李さんの家の四男がもとの意で、
張も李も中国ではありふれた姓。




読書三到 どくしょさんとう


読書三到 どくしょさんとう  
読書に必要な三つの心得。
読書をして文章の真理を悟るには、
口到(声に出して読む)眼到(目でよく見る)
心到(心を集中する)の三つが大事であると言うこと。
朱熹(しゅき)の唱えた読書訓から。




読書三昧 どくしょざんまい


読書三昧 どくしょざんまい
ひたすら読書にふけること。
一日中、書物を読むことにひたりきるさま。
読書に夢中になって他をかえりみないこと。
「三昧」は、梵語(ぼんご)の音訳で、
心を一つのものに集中させる、熱中するの意。




南無三宝 なむさんぽう


南無三宝 なむさんぽう     
仏に救いを求める言葉。
「南無」は帰依(きえ)する意の梵語(ぼんご)で
仏に祈るときに唱えることば、
「三宝」は、仏・法・僧の三つの尊いものの意。
普通は「南無三」と略して、
失敗した時や万に一つの成功を祈る時の感動詞に用いる。




人三化七 にんさんばけしち


人三化七 にんさんばけしち    
容貌のひどく醜いことのたとえ。
とくに女性に用いる。
人間らしい部分が三割で、
残りの七割は化け物という意から。




放蕩三昧 ほうとうざんまい


放蕩三昧 ほうとうざんまい
酒や女におぼれること。
「放蕩」は、思うまま、ほしいままにすること。
「三昧」は、仏教で邪念を捨てて精神を集中すること。
(転じて)物事の極致に達すること。
度が過ぎるほど気ままな生活をして酒や女におぼれること。




北窓三友 ほくそうさんゆう


北窓三友 ほくそうさんゆう
文人に必要とされる三つの友の意。
「三友」は、琴・詩・酒のこと。




三日天下 みっかてんか


三日天下 みっかてんか  
わずかな期間だけ権力を握ること。
「三日」はわずかな期間のたとえ。
「天下」は「でんか」とも読み、権力につくの意。
戦国時代、明智光秀は、
織田信長を本能寺に討って天下を奪ったが、
わずかの間(実際には十日余りだった)に
豊臣秀吉に討たれたことから。
国家や組織の頂点に立っても、
きわめて短い間しか権力や地位を保てないことをいう。



三日坊主 みっかぼうず


三日坊主 みっかぼうず   
何をやってもすぐ飽きてしまい、物事が長続きしないこと。
自分が興味を持って始めた事でもすぐに投げ出してしまう人の事。
また、そのような人をあざけっていう言葉。




孟母三遷 もうぼさんせん


孟母三遷 もうぼさんせん   
子どもの教育には、環境が大切だということ。
「孟母」は孟子の母、
「三遷」は三度も住居を変えたという意。
「孟母三遷の教え」の略。
孟子の母は子どもの教育のことを考えて、三度も引越しをした。
初めは墓地の近くに住んでいたが、
埋葬のまね事をして遊ぶので市中に移り住んだ、
すると商売のまね事をして遊ぶので今度は学校の近くへ移り住んだ、
すると、礼儀作法など学習のまねをして遊ぶようになったので、
母は喜んでそこに居を定めた。という故事から。 




陽関三畳 ようかんさんじょう


陽関三畳 ようかんさんじょう
別れを繰り返し惜しむこと。
別れの歌として名高い「陽関曲」の結句
「西出陽関無故人
(西のかた陽関を出ずれば故人無からん)」を
三回繰り返して歌い別れを惜しむこと。
「陽関」は、唐の王維(おうい)の詩、
(元二の安西に使いするを送る)の別名。
「三畳」は、三回繰り返すこと。




冷汗三斗 れいかんさんと


冷汗三斗 れいかんさんと
非常に怖いこと。
また、恥ずかしい思いをすること。
「冷汗」は、冷や汗。
「斗」は、ひしゃく、または液体の量を計るマスの意で、
「三斗」は、量の多いたとえ。「一斗」は、約十八リットル。
冷や汗が三斗も出る意から、非常に恥ずかしい思いや、
恐ろしい事に出会って強い恐怖感を抱いた時の気持ちに使う。




四海為家 しかいいか


四海為家 しかいいか しかいいえとなす
天子の任務の範囲が広大であること。
帝王の事業がさかんな例え。
「四海」は、その国の四方を取り巻く海、
また、その海の内にある国中、天下のこと。
天下を自分の家とすることから、天子の統治権の広大さをいう。
また、世の中のどこでも自分の家があるという意から、
定まった住所がなく放浪することもいう。




四海兄弟 しかいけいてい


四海兄弟 しかいけいてい    
世界中の人々はみな同じ人類で、分け隔てすべき理由が無く、
すべて兄弟のように親しくつきあうべきであるということ。
「四海」は四方の海、また国内、天下、世界の意。
「兄弟」は「きょうだい」とも読む。




四海波静 しかいなみしずか


四海波静 しかいなみしずか
天下がよく治まって平和で穏やかなこと。
四方の海は、見渡す限り、波が立たず平穏であることから。
天下いたる所、一つの争乱もなく平和であることの例え。




四角四面 しかくしめん


四角四面 しかくしめん    
何事にも真面目な事。
また、真面目すぎて堅苦しく融通のきかないこと。
本来は真四角な事の意。




四苦八苦 しくはっく


四苦八苦 しくはっく   
この世に存在するさまざまな苦しみ。
非常に苦労する事。
もとは仏教語で、人間を悩ませる大きな苦しみの根本原因を、
生(しょう)、老、病、死を四苦といい、
これに愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、
求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の
四苦を加えて八苦という。




四十不惑 しじゅうふわく


四十不惑 しじゅうふわく
四十歳にしてようやく人生に迷いが無くなること。
孔子は四十歳になった時、自分の学問に対して自信を固め、
道理も明らかになり、人生の問題に迷うことがなくなった
ということから。




四書五経 ししょごきょう


四書五経 ししょごきょう 
儒学(じゅがく)を学ぶための基本的な書物。
「四書」は、大学(だいがく)中庸(ちゅうよう)論語(ろんご)
孟子(もうし)をいい、
「五経」は、易経(えききょう)詩経(しきょう)書経(しょきょう)
春秋(しゅんじゅう)礼記(らいき)をいう。
これらの書物を儒学の聖典とされた。




四通八達 しつうはったつ


四通八達 しつうはったつ     
道路や交通が四方八方に通じて発達しており便利なこと。
(転じて)
往来の激しくにぎやかな場所のこと。




四百四病 しひゃくしびょう


四百四病 しひゃくしびょう  
人間がかかるすべての病気の事。
仏教では、人の体は地・水・火・風の四つの元素から構成されており、
この元素の不調により、それぞれの元素に101の病が起こるとされ、
全部で404となる。




四分五裂 しぶんごれつ


四分五裂 しぶんごれつ     
ちりぢりばらばらになること。
まとまっていたものが、いくつにも分裂してしまい、
秩序や統一が失しなわれ、乱れてしまうこと。




四面楚歌 しめんそか


四面楚歌 しめんそか      
周りを敵に囲まれ孤立していて、助けがないこと。
また、周りがすべて敵や反対者ばかりで、味方がいないこと。
楚(そ)の項羽(こうう)は劉邦(りゅうほう/漢の高祖)と
天下を争い敗れた。
垓下(がいか)で夜中に四方を囲む漢軍の陣から、
項羽の故郷である楚の歌が流れてくるのを聞き、敵の作戦とは
知らずに「楚の人人はすでに漢に降伏したのか」と驚き嘆いた
という故事から。




四六時中 しろくじちゅう


四六時中 しろくじちゅう
いつもの意。
一日中。常に。いつも。
昔は「二六時中」といったが今の二十四時制に直していったもの。
江戸時代は一日の時間を「子の刻」「丑の刻」など、
干支の十二刻で表わしていた。
2×6(にろく)=12となるため、「二六時中」で一日中を意味していた。
「四六時中」は 「二六時中」を現代の一日の時間(二十四時間)に
合わせ、4×6(しろく)の24時間としたものである。




陰陽五行 いんようごぎょう


陰陽五行 いんようごぎょう
中国の春秋戦国時代ごろに起源した世界観。
古代中国では、太陽は陽(よう)で月は陰(いん)、
奇数が陽で偶数が陰、表が陽で裏が陰というふうに、
自然界のあらゆるものを陰と陽にわけた陰陽思想と、
自然界は木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)の
五つの要素で成り立っており、
その五つの要素が循環することによって
万物が生成され自然界が構成されているとする五行思想の
二つが結び付いて生まれた陰陽五行思想のこと。
「陰陽」は、天地間にあって万物を作り出す二つの気の名。
「五行」は、天地間に循環流行してすべての物を生じる
五つの物質で木・火・土・金・水をいう。




五穀豊穣 ごこくほうじょう


五穀豊穣 ごこくほうじょう
穀物などの農作物が豊かに実り、豊作になること。
「五穀」とは、米・麦・豆・粟(あわ)・黍(きび)の
五種類の主要な穀物をさす。
また穀物の総称としても用いる。
「豊饒」は作物などが豊かに実ること。




五十知命 ごじゅうちめい


五十知命 ごじゅうちめい
五十歳で天命を知ること。
子曰く「五十にして天命を知る」といい、
孔子は、五十歳になった時、
天から与えられた自分の宿命を知った。
「知命」のみで、五十歳の意にも用いる。




五臓六腑 ごぞうろっぷ


五臓六腑 ごぞうろっぷ  
体の中の全て。心の中もいう。
五臓とは心臓、肺、脾臓(ひぞう)、
肝臓、腎臓(じんぞう)の五つの臓器。
六腑とは大腸、小腸、胃、胆、膀胱、三焦の六つの腑。
転じて、腹の中すべて、からだじゅう、心の中をいう。
これは漢方による分類のため、
西洋医学で示す部分とは必ずしも整合性をもたない。




五風十雨 ごふうじゅうう


五風十雨 ごふうじゅうう   
気候が順調な事。
世の中が平穏無事であることのたとえ。
「五日一風、十日一雨」といい、五日ごとに風が吹き、
十日ごとに雨が降るという意から、
農作物の成育に都合がよい天候。
転じて、世の中が平穏で無事な事。




五里霧中 ごりむちゅう


五里霧中 ごりむちゅう     
霧が深くて方向がわからなくなってしまうこと。
(転じて)
ものごとの手がかりがつかめず、方針や見込みが立たないこと。
中国・後漢の張楷(ちょうかい)が、五里霧という仙術によって
五里四方に霧を起こしたという故事から。




五倫五常 ごりんごじょう


五倫五常 ごりんごじょう
人として常に守るべき道徳のこと。
儒教の教えで基本的な人間関係を規律する徳目のこと。
「五倫」は、人として守るべき、君臣の義、父子の親、
夫婦の別、長幼の序、朋友の信の五つの道をさし、
「五常」は、仁・義・礼・智・信の五つの得目をさす。




六尺之孤 りくせきのこ


六尺之孤 りくせきのこ
十四、五歳のみなしご。
幼くして父を失った者のこと。
幼少の君のこと。
君主がなくなったとき、孤児になった幼君と、
国家の運命を安心してゆだねられる人を、
理想的な人物とする曾子(そうし)のことばによる。
「六尺」は、身長で年齢を示したもの。
十五歳以下をいう。




六十耳順 ろくじゅうじじゅん


六十耳順 ろくじゅうじじゅん
六十歳で異なる考えも素直に聞き入れられるようになること。
孔子は、六十歳になった時、学問修養も進み、
自分と異なる説を聞いても理にかなえば
抵抗なく理解できるようになった。
「耳順」は、素直に聞くことができるの意で、
六十歳の意にも用いる。




六菖十菊 ろくしょうじっきく


六菖十菊 ろくしょうじっきく  
時期に遅れて役に立たないこと。
菖蒲(あやめ)は五月五日の
端午(たんご)の節句に使うので、六日では遅く、
菊は九月九日の重陽(ちょうよう)の節句に使うので、
十日では役に立たないことから。 
「りくしょうじゅうきく」とも読む。




六根清浄 ろっこんしょうじょう


六根清浄 ろっこんしょうじょう  
欲や迷いを洗い流して、心身ともに清らかになること。
「六根」は仏教用語で、人間に欲や迷いを生じさせる根源である、
知覚作用をつかさどる目・鼻・耳・舌・身・意の六つの器官のこと。
山岳信仰の登山のときなどに登りながら唱える言葉。




七十古稀 しちじゅうこき


七十古稀 しちじゅうこき
七十歳まで生きる人は少ないということ。
昔から七十歳の高齢に達するまで、長く生きるということは
稀であるといった、唐の詩人杜甫(とほ)のことば
「人生七十、古来稀(ま)れなり」から。
「古稀」のみで七十歳の意に用いられる。
また、孔子は、「七十にして心の欲する所に従えども、
矩(のり)を踰(こ)えず」と言ったことから、
七十歳のことを「従心」ともいう。




七転八起 しちてんはっき


七転八起 しちてんはっき 
何度失敗しても、くじけることなく立ち上がり、奮起する事。
七度転んでも八度起きるという意から。




七転八倒 しちてんばっとう


七転八倒 しちてんばっとう 
激しい痛みや苦痛に転げまわって、もがき苦しむこと。
のたうち回り、何度も起きては倒れるさま。
「しってんばっとう」「しちてんはっとう」とも読む。




七堂伽藍 しちどうがらん


七堂伽藍 しちどうがらん
寺院の主要な七つの建物のこと。
また、七つの堂のそろった大きな寺。
「七堂」は宗派により異なるが、一般に塔・金堂(こんどう)
・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂(じきどう)のこと。
禅宗では山門・仏殿・法堂(はっとう)・庫裡(くり)
・僧堂・浴室・東司(とうす/便所)を指すことが多く、
この七堂が寺院にあるべき主要な建物とされた。
「伽藍」は寺院の建築物。




七難八苦 しちなんはっく


七難八苦 しちなんはっく  
さまざまな苦難や災難。
もとは仏教語で、
人間が受ける七種類の災難と八つの苦しみ。
「七難」は、流行病・外国の侵略・内乱・風水害・
火災・霜害・日月食などのこと。
「八苦」は生、老、病、死、これに愛別離苦(あいべつりく)、
怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、
五蘊盛苦(ごうんじょうく)のことをいう。




七歩之才 しちほのさい


七歩之才 しちほのさい     
優れた詩才に恵まれており、しかも作詞が早いこと。
魏(ぎ)の曹操(そうそう)の子、曹植(そうち)が、
兄の曹丕(そうひ)からその才能を妬まれ、
七歩あるく間に詩を作れと命じられたが、
即座に作詞したと言う故事から。




竹林七賢 ちくりんしちけん


竹林の七賢 ちくりんのしちけん 
中国の晋代に、俗世間を避けて竹林に集まり、
酒と琴と清談(せいだん)を楽しんだといわれる七人の隠士のこと。
阮籍(げんせき)・嵆康(けいこう)・山濤(さんとう)
向秀(こうしゅう)・劉伶(りゅうれい)・阮咸(げんかん)
王戎(おうかい)をいう。




永字八法 えいじはっぽう


永字八法 えいじはっぽう
書道で「永」の一字を練習すれば身につくという、
すべての漢字に共通した八種類の基本的な運筆法のこと。
「八法」とは、側(そく、点)・勒(ろく、横画)・努・(ど、縦画)
・策(さく、右上がりの横画)・掠(りやく、左はらい)・啄(たく、
短い左はらい)・磔(たく、右はらい)・趯(てき、はね)の八種の筆法。
後漢の蔡邕(さいよう)が考案したという書法伝授法の一つ。




傍目八目 おかめはちもく


傍目八目 おかめはちもく    
当事者よりもはたで見ている第三者のほうが、
その本質や利害などの情勢を客観的に正しく判断出来るという事。
「傍目」は「岡目」とも書き、
他の人がしていることをわきで見ている事の意。
実際に碁を打っている人より、
そばで見ている人のほうがいい悪いが良くわかり、
八目も先まで読む事が出来るといわれることから。




八大地獄 はちだいじごく


八大地獄 はちだいじごく   
仏教で言う八つの地獄の事。
八熱地獄(はちねつじごく)ともいう。
等活地獄(とうかつじごく)、黒縄地獄(こくじょうじごく)、
衆合地獄(しゅうごうじごく)、叫喚地獄(きょうかんじごく)、
大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)、焦熱地獄(しょうねつじごく)、
大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)、
無間地獄(むげんじごく)または、阿鼻地獄(あびじごく)の八つ。




八面玲瓏 はちめんれいろう


八面玲瓏 はちめんれいろう 
どの方面から見ても美しくすぐれていること。
また、そういう人。
とくに人との交際が円満、巧妙な場合に用いる。
「八面」は人間の全ての面、
「玲瓏」は玉などが美しく輝き透き通っているの意。




八面六臂 はちめんろっぴ


八面六臂 はちめんろっぴ 
たった一人で何人分もの働きをすること。
または、多方面で大活躍すること。
「八面」は八つの顔、「六臂」は六つのひじの事。




八紘一宇 はっこういちう


八紘一宇 はっこういちう     
世界を一つの家のように考えること。
「八紘」は四方と四隅で全世界をいい、
「宇」は家の意。
地の果てまでを一つの家のように統一して支配すること。
第二次世界大戦の日本軍のスローガンとして用いられた。




八方美人 はっぽうびじん


八方美人 はっぽうびじん   
どこから見ても欠点のない美しい人。
(転じて)
誰とでも要領よく付き合う人。
多くは非難や軽蔑をこめて用いられる。
「八方」は、あらゆる方角の意。




子建八斗 しけんはっと


子建八斗 しけんはっと
優れた才能のこと。
中国南朝の宗の詩人 謝霊運(しゃれいうん)が
魏(ぎ)の曹植(そうち)の詩才をほめたたえて語ったことば。
天下の才が全部で一石(いっこく)だとすると、
子建ひとりでそのうちの八斗を有するという意。
「子建」は、曹植の字(あざな)。
「斗」は、容量の単位。一石は十斗。




九牛一毛 きゅうぎゅういちもう


九牛一毛 きゅうぎゅういちもう 
多数の中のごく少数。物の数にも当たらないの意。
また、取るに足らないこと、些細なことのたとえ。
「九」は多数の意で、「九牛」は、たくさんの牛、
「一毛」は、一本の毛の意。
たくさんの牛の中で、その一頭の牛の一本の毛が抜けても、
まったく目立たないということ。




九死一生 きゅうしいっしょう


九死一生 きゅうしいっしょう  
十の内、死が九分、生が一分の状況で、絶望的な状態のこと。
また、ほとんど助かる見込みのない状態から、
かろうじて命拾いをすること。
「九死」は、ほとんど死を避けがたい危険な場合の意で、
そこから奇跡的に助かった場合には、
「九死に一生を得た」という形で用いる。




九仞之功 きゅうじんのこう


九仞之功 きゅうじんのこう
長年の努力の結果、完成間近な大きな仕事が、
最後の小さな手落ちで失敗に終わるたとえ。
「九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)」の下略。
「仭」は、古代中国の高さの単位で、
「九仭」は、非常に高いことの意。
「一簣」は、土を盛って運ぶ道具のモッコ一杯分の土のこと。
「虧く」は「欠く」と同じ。
高い山を築くためには、
最後の一杯のモッコの土を欠いても完成したことにはならない。
九割九分完成した大きな仕事も、最後のわずかな油断のために
すべて台無しになってしまうように、仕事や物事を行うときは
最後の最後まで気を緩めるなという戒めのことば。
九仞一簣(きゅうじんいっき)ともいう。




九分九厘 くぶくりん


九分九厘 くぶくりん
ほとんど確実だと思われる様子。
十分(じゅうぶ)に一厘だけ足りない九分九厘までの意で、
ほとんど完全に近いと思われるさま。
九十九パーセントのこと。
「分」は全体の十分の一で、「九分」は九十パーセント。
「厘」は全体の百分の一で、「九厘」は九パーセントを表す。

ちなみに比率を表す「割」の単位はここでは考えに入れません。
「割」は江戸時代に登場した歩合(ぶあい)計算に使う十分の一の
ことで、それ以前からある数量を表したことばには使われていません。
たとえば「五分五分」や「腹八分目」など。
歩合を表す言葉は、
「割」・・・10分の1の率。
「分」・・・割の10分の1。
「厘」・・・割の100分の1。
したがって、ここでいう「九分九厘」は、
歩合で表す「九割九分」と同じです。




九十九折 つづらおり


九十九折 つづらおり  
幾重にも折れ曲がっている山道。
くねくねと折れ曲がった道の事。
もともとは「葛折り」と書き、植物の葛(クズ/つづら)の
つるのように折れ曲がって伸びていることから。



面壁九年 めんぺきくねん


面壁九年 めんぺきくねん   
ある目標に向かって長い年月を、
ただひたすらに努力を続ける事のたとえ。
禅宗の始祖達磨大師が、
少林寺で壁に向かって座禅を九年間組続け、
ついに悟りを開いたという故事から。
人の学業に精通してる事をほめることば。




一暴十寒 いちばくじっかん


一暴十寒 いちばくじっかん 
何事も継続して努力しなければ、
仕事や学問の成果はあがらないという事のたとえ。
一日あたためて十日冷やすともいい、せっかく暖めても、
それ以上の時間冷やしたのではなにもならないという意から。




一目十行 いちもくじゅうぎょう


一目十行 いちもくじゅうぎょう
読む力がすぐれていて、非常な速さで本を読むこと。
本を読むときに目を一度上下させるだけで、
十行分を読み取ることができる能力をいう。
また、その人物の才気が優れているたとえにも使われる。




十日之菊 とおかのきく


十日之菊 とおかのきく
時期に遅れて間に合わないこと。
九月九日の「重陽(ちょうよう)の節句」(菊の節句)に飾る菊を、
遅れて翌日の十日に手に入れても役に立たないということ。
菊の節句を過ぎても咲いている菊の場合にも用いる。
同義語に「六日の菖蒲(あやめ)」がある。
これも、菖蒲は五月五日に使うもので、六日では遅いということから、
時期遅れで役に立たないことをいう。




十五志学 じゅうごしがく


十五志学 じゅうごしがく
十五歳で学問に志すこと。
晩年の孔子が、自分の人生をふりかえって述べた一節に、
「吾十有五(われじゅうゆうご)にして学(がく)に志す」とある。
孔子は、十五歳になったとき、学問を志した。
「志学」のみで、十五歳の意にも用いる。




十人十色 じゅうにんといろ


十人十色 じゅうにんといろ    
人の好みや考え、性格などは、
人によってそれぞれ違うものだということ。
十人いれば一人一人がみな姿も心も違う。
人はめいめい顔かたちが違うように
好き嫌い・立場・考え方もみな違っているということ。
「色」は種類の意。




十年一日 じゅうねんいちじつ


十年一日 じゅうねんいちじつ  
十年がまるで一日のようだという意。
(転じて)
長い年月のあいだ同じ状態が続いて変化や進歩がない事。
いつになっても変わりばえしないさま。
また、長い期間ひとつの仕事を
怠(おこた)り無く勤め続けることの形容にも用いる。
「十年一日の如し」という。




十中八九 じっちゅうはっく


十中八九 じっちゅうはっく  
十のうち八か九まで。
ほとんど。
おおかた。
たいてい。
「じゅうちゅうはっく」とも読む。




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