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逆引き 四字熟語 四文字熟語辞典 > 神仏信仰 宗教 道徳に関する四字熟語



愛別離苦 あいべつりく


愛別離苦 あいべつりく    
別れるかなしみやつらさの事。
親子、兄弟、妻子など愛し合ってるものが
生き別れや死別するかなしみや苦しみの事。
仏教で言う八苦(人生の八つの苦しみ)の一つ。




安心立命 あんしんりつめい


安心立命 あんしんりつめい   
信仰によって心を安らかに保ち、
何事にも心を乱されないで天命をまっとうすること。
「安心」は、神仏を信仰して心が安らかに落ち着いて悩まない事、
「立命」は、人為によって損なうことなく、
天から授かった運命をまっとうすることの意。
「あんじんりつめい」「あんじんりゅめい」
「あんじんりゅうみょう」とも読む。




一樹之陰 いちじゅのかげ


一樹之陰 いちじゅのかげ
見知らぬ者同士が同じ木陰で休むことなど、この世のあらゆる
関わりは前世からの因縁によるものであるということ。
本来は、「一樹の陰一河(いちが)の流れも他生(たしょう)の縁」に
由来することば。
同じ木陰に宿り、同じ川の水をくむのも、みな前世からの浅からぬ
因縁であるから、おろそかに思ってはいけないの意。




一念発起 いちねんほっき


一念発起 いちねんほっき  
あることを成し遂げようと決意すること。
悟りを開こうと固く決心すること。
もとは仏教語で「一念発起菩提心/いちねんほっきぼだいしん」の略。
いままでの心を悔い改めて、悟りを開こうと決心することの意。



一切衆生 いっさいしゅじょう


一切衆生 いっさいしゅじょう  
仏教で、この世に生を受けて存在する全ての生き物。
生きとし生けるもの。
とくに人間のことをいう。




怨憎会苦 おんぞうえく


怨憎会苦 おんぞうえく     
怨み憎む人と会わなければならない苦しみ。
仏教でいう八苦のひとつ。
八苦は生(しょう)、老、病、死、これに愛別離苦(あいべつりく)、
怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、
五蘊盛苦(ごうんじょうく)のことをいう。




厭離穢土 おんりえど


厭離穢土 おんりえど      
煩悩(ぼんのう)に汚れた現世を嫌って離れる事。
仏教語で、「厭離」は、世の中を厭(いと)い、俗世間を捨てる事、
「穢土」は、汚れた俗世の意。
「厭離」は「えんり」とも読む。




怪力乱神 かいりょくらんしん


怪力乱神 かいりょくらんしん  
科学や理性では説明が出来ないような、
不思議な現象や存在のこと。
「怪」は不思議なこと、
「力」は力ずくですること、
「乱」は正義を乱すこと、
「神」は神秘的な力の意。
怪力は「かいりき」とも読む。
『論語』に「子は怪力乱神を語らず」とある。




空即是色 くうそくぜしき


空即是色 くうそくぜしき    
万物の本性は空であるが、
その空なるものがそのまま真の実在でもあるという考え方。
「空」と「色」は本来同一であることを示している。
「空」は実体がなく空しいの意。
「色」は人が知覚できるすべての事物や現象で
物質的存在の総称。




葷酒山門 くんしゅさんもん


葷酒山門 くんしゅさんもん   
仏道の修行を妨げ心を乱す原因となるので、
臭気のある野菜や酒は、清浄な寺の門より中に持ち込んだり、
それらを口にしてはならないということ。
「葷」はニラ、ネギ、ニンニク、ラッキョなどの野菜、
「酒」は酒の意。
よく禅寺の門の脇にある戒壇石(かいだんせき)には
「葷酒山門に入るを許さず」の句が刻まれている。




結跏趺坐 けっかふざ


結跏趺坐 けっかふざ      
禅宗(ぜんしゅう)での修行(座禅ざぜん)するときの坐法の一つ。
「跏」は足の裏、「趺」は足の甲の意。
右の足の甲を左の股の付け根にひきつけ、
左の足の甲を右の股の付け根に置き、
両足の裏が上を向くように組む。
仏像もよくこの形をとっている。




黄道吉日 こうどうきちにち


黄道吉日 こうどうきちにち   
陰陽道(おんみょうどう)で、何事を行うのにも最も良い日とされる。
日がらの良い日。
「黄道」は、地球からみて、
太陽が地球を中心にして運行するように見える円形の軌道の意。
「吉日」は「きちじつ」とも読む。
結婚式などの祝い事に選ぶと良い日。




極楽往生 ごくらくおうじょう


極楽往生 ごくらくおうじょう  
安らかに死ぬ事。
この世を去って極楽浄土に生まれる事から。
「極楽」は「極楽浄土」の略、
「往生」は死ぬことの意。




欣求浄土 ごんぐじょうど


欣求浄土 ごんぐじょうど    
極楽浄土に往生することを心から願い求めること。
「欣求」は喜んで願い求める事、
「浄土」は「極楽浄土」の略。
仏教では、この世は煩悩の世界であり、
あの世は清らかな安らぎにみちた極楽である。
死後は極楽浄土に生まれたいという意。




金剛不壊 こんごうふえ


金剛不壊 こんごうふえ     
極めて堅固で決してこわれないこと。
(転じて)志を固く守ってかえないことのたとえ。
金剛石(ダイヤモンド)のように堅固で容易に壊れないことから。
金剛は仏教語(梵語(ぼんご)の漢訳)で堅固の意。




斎戒沐浴 さいかいもくよく


斎戒沐浴 さいかいもくよく   
神仏に祈ったり神聖な祭事をする前に、飲食や行動を慎み、
体を洗い心身を清めてけがれをとり去ること。
「斎戒」は祭祀(さいし)などを行う人が心身を清浄にすること、
「沐」は頭髪を洗う事、「浴」は身体を洗うの意。




西方浄土 さいほうじょうど


西方浄土 さいほうじょうど   
仏教で、西に方にあるあるといわれる清らかなところ。
この世から西方に十万億の仏国土を
隔てたところに存在する安楽の世界。
悟りの境地に至った仏や菩薩(ぼさつ)の住むところをいう。
阿弥陀仏(あみだぶつ)の浄土。
「極楽浄土」の別称。




三千世界 さんぜんせかい


三千世界 さんぜんせかい
広大な世界や広い世間のこと。
もとは仏教語で、宇宙の広さについての単位の一つ
「大千世界」ともいう。
「三千大千世界」の略。

世界の中心には須弥山(しゅみせん)があり、それを中心にした
日・月・四大洲・四大海・六欲天などの広大な範囲が一小世界で、
これが千個集まり「小千世界」、その千倍が「中千世界」、
そのまた千倍が「大千世界」、または「三千大千世界」という。
  



三位一体 さんみいったい


三位一体 さんみいったい  
三つのものが結びつき、一つのようになっていること。
また、三つは別別のものだが、本質は一致するということ。
doctrine of Trinityの訳語。
もとはキリスト教の根本主義で、
三位(父である神と神の子キリストと信仰経験に示された聖霊)は
唯一神の現れ方であり、神はこの三つをもつ実体であるとする説。
三者が心を合わせて協力する場合にも用いる。




色即是空 しきそくぜくう


色即是空 しきそくぜくう   
この世の事物・現象はすべて空(むな)しく仮の姿であり、
その本質は空でありつきつめれば実体が無いということ。
仏教語で、「色」は人が知覚できるすべての事物や現象で
物質的存在の総称、「空」は実体がなく空しいの意。
「色とは即(すなわ)ち是(こ)れ空なり」と訓読できる。




寂滅為楽 じゃくめついらく


寂滅為楽 じゃくめついらく   
迷いから解き放たれた悟りの境地こそ、真の安楽があるということ。
生死の苦に対して寂滅が真の楽しみであるの意。
「寂滅」は「涅槃(ねはん/安らかに死ぬ事)」と同じで、
煩悩(ぼんのう)の世界から脱した悟りの境地の意。




衆生済度 しゅじょうさいど


衆生済度 しゅじょうさいど   
迷い苦しんでいる多くの人々を、仏道によって救い出し、
悟りの境地に導く事。
罪業(ざいごう)に陥(おちい)った多くの人々を迷いから救い、
極楽の彼岸に渡すこと。
衆生は人間を含む全ての生き物、済度は救いわたす、
苦海(くかい)から救い出し彼岸に導くの意。



盛者必衰 じょうしゃひっすい


盛者必衰 じょうしゃひっすい  
勢いの盛んな者も、いつかは必ず衰えほろびるということ。
仏教の人生観で、この世の無常をいうことば。
「盛者」は「しょうじゃ」「しょうしゃ」とも読み、権威の盛んな人の意。
『平家物語』には「沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、
盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」とある。



生者必滅 しょうじゃひつめつ


生者必滅 しょうじゃひつめつ  
この世で生きている者は、いつか必ず死ぬということ。
人生の無常をいう。
「生者」は「せいじゃ」「しょうしゃ」とも読み、
生きている者、命ある者の意。




諸行無常 しょぎょうむじょう


諸行無常 しょぎょうむじょう  
この世のすべてのものは生死を繰り返し、絶えず移り変わり、
永久に不変なものはなにひとつないということ。
一般的には、人生のはかなさを嘆く場合に用いる。
諸行はこの世のすべての現象、無常は常住不変なものはないの意。
仏教の根本思想を表すことばで、人生ははかなく無常であるという教え。
『平家物語』には「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘(かね)の声、
諸行無常の響きあり」とある。




心頭滅却 しんとうめっきゃく


心頭滅却 しんとうめっきゃく  
無念無想の境地。もとは仏教語で、心の中の雑念を取り除く事。
「心頭を滅却すれば火もまた涼(すず)し」の略。
いかなる苦難にあっても、心の持ちかたでしのげるはずだという意。
甲斐(かい)の恵林寺(えりんじ)が、
織田信長に包囲され焼き討ちにあったとき、住職 快川(かいせん)が、
この句を発して焼死したという話がある。




神仏混交 しんぶつこんこう


神仏混交 しんぶつこんこう   
神と仏教とを結びつけた日本古来の信仰のこと。
神は仏が衆生を救うために仮に姿を現したものだという思想
「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」も、
奈良・平安初期から始まっている。
「混交」は、もと「混淆」と書いた。




森羅万象 しんらばんしょう


森羅万象 しんらばんしょう   
宇宙に存在するあらゆるもの、あらゆる現象やいっさいのもの。
「森羅」は、果てしない森のようにかぎりなく並び連なる無数の樹木、
「万象」は、さまざまな有形物、形あるものすべての意。
万象は「ばんぞう」「まんぞう」とも読む。




世道人心 せどうじんしん


世道人心 せどうじんしん    
この世の中における守るべき道徳と、
それを守るべき人の心のこと。
道徳を守ろうとする心の意で用いる。




全知全能 ぜんちぜんのう


全知全能 ぜんちぜんのう    
あらゆる事を理解し、どんなことでも行える完全な能力。
完全無欠の知能。
神に対する形容として用いる場合が多い。
また、出せるかぎりの知力や能力のこととしても用いられる。
「全知」は「全智」とも書く




善男善女 ぜんなんぜんにょ


善男善女 ぜんなんぜんにょ   
信心深い人たち。
また、寺社に参拝する人々のこと。
ふだんから心がけがよい人々の意。
本来は善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)といい、
仏教に帰依(きえ)した男女をいう。




則天去私 そくてんきょし


則天去私 そくてんきょし    
自我に執着するのをやめて、自然の中で物事を見きわめる事。
天意(自然の道理)に従い、私心を捨て去る事。
小さな自我を捨てて、大きな自然の中で生きること。
晩年の夏目漱石が、未完の作「明暗」の中で到達した
文学観・人生観・芸術観を示すことば。
「天(てん)に則(のっと)り私(わたくし)を去(さ)る」とも読む。




大安吉日 たいあんきちじつ


大安吉日 たいあんきちじつ   
物事を行うのに最も良い日柄。
大安は「だいあん」とも読み、陰陽道(おんようどう)で暦の六曜
(ろくよう(六輝ろくき))の一つで、物事が滞りなく行える最も良い日。
吉日は「きちにち」とも読み、物事をするのに良い日の意。
同意の語を重ねて意味を強めたもの。
六曜は先勝(せんがち)・友引(ともびき)・先負(せんまけ)
・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっく)。




大願成就 たいがんじょうじゅ


大願成就 たいがんじょうじゅ  
大きな願いごとがかない、達成されること。
「大願」は「だいがん」とも読む。
もともとは仏教語で、衆生(しゅじょう)を救おうとする仏の請願の意。
現代では、人々の願い事が、神仏の加護によってうまくかなったときなどに用いる
。 



大慈大悲 だいじだいひ


大慈大悲 だいじだいひ     
仏の限りなく大きな慈悲のこと。
仏教語で、「慈」は仏が人間に与える喜び、
「悲」は仏が人間の苦を救うの意。
とくに観音菩薩の慈悲をさす。




追善供養 ついぜんくよう


追善供養 ついぜんくよう    
忌日などに仏事供養を営むこと。
亡くなった人の冥福(めいふく)を祈って供養すること。
「追善」は、死者法会(ほうえ)など善事を行うこと、
「供養」は、死者の冥福を祈る事の意。




天神地祇 てんじんちぎ


天神地祇 てんじんちぎ     
あらゆる神神の事。
「天神」は天の神、「地祇」は大地の神の意。
天つ神と国つ神のことで、
「天神」は高天原(たかまのはら)に生成した神
「天照大神(あまてらすおおみかみ)など」、
「地祇」は、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」に誕生した神
「大物主神(おおものぬしのかみ)など」をいう。
「天神」は「てんしん」ともいう。




天地神明 てんちしんめい


天地神明 てんちしんめい    
天と地のすべての神神。
「天地」は天と地、
「明」は神のことで、「神明」は神神の意。
類義語に天神地祇(てんじんちぎ)がある。




天佑神助 てんゆうしんじょ


天佑神助 てんゆうしんじょ   
天の助けと神の助けのこと。
「佑」は助けの意。
「天佑」は「天祐」とも書く。




南無三宝 なむさんぽう


南無三宝 なむさんぽう     
仏に救いを求める言葉。
「南無」は帰依(きえ)する意の梵語(ぼんご)で
仏に祈るときに唱えることば、
「三宝」は、仏・法・僧の三つの尊いものの意。
普通は「南無三」と略して、
失敗した時や万に一つの成功を祈る時の感動詞に用いる。




南都北嶺 なんとほくれい


南都北嶺 なんとほくれい    
奈良の興福寺(こうふくじ)と
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)のこと。
興福寺は奈良市にある法相宗(ほっそうしゅう)の大本山。
延暦寺は大津市にある天台宗の総本山で
最澄(さいちょう)が創建。




如是我聞 にょぜがもん


如是我聞 にょぜがもん     
このように私は釈迦(しゃか)から聞いたの意。
「是(か)くの如(ごと)く我(われ)は聞(き)けり」と読み、
経文の書き出しの言葉。
「是」は釈迦の言動をいい、
「我」は釈迦の弟子で、経の編者でもある阿難(あなん)のこと。
釈迦の死後、経典を編纂(へんさん)するのに際し
弟子の阿難が経典の冒頭に書いたことば。
その経が間違いなく釈迦のことばであることを示した。
その教えを信じ、守る意も含まれる。




如法暗夜 にょほうあんや


如法暗夜 にょほうあんや    
文字通りの暗い夜。
まっくらやみのこと。「如法」は仏の教えのとおりであること。
文字どおりであること。




拈華微笑 ねんげみしょう


拈華微笑 ねんげみしょう    
言葉を使わないで、心から心へと伝えること。
「拈華」は花をひねるの意。
釈迦が弟子たちに説法したとき、
黙って蓮華(れんげ/ハス)の花をひねっていると、
ただひとり摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意を解して微笑したので、
釈迦が迦葉に悟りの奥義を伝えたという故事から。




破邪顕正 はじゃけんせい


破邪顕正 はじゃけんせい    
邪説や邪道を打ち破り、正道や正義をあらわすこと。
また、正統を守ること。
「破邪」は邪説・邪道を説き伏せる事。
「顕正」は、けんしょうとも言い、正しい仏法・正道を表し示す事。
本来は仏教語だが、いまはより広い意味で用いられる。




八大地獄 はちだいじごく


八大地獄 はちだいじごく    
仏教で言う八つの地獄の事。
八熱地獄(はちねつじごく)ともいう。

等活地獄(とうかつじごく)、
黒縄地獄(こくじょうじごく)、
衆合地獄(しゅうごうじごく)、
叫喚地獄(きょうかんじごく)、
大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)、
焦熱地獄(しょうねつじごく)、
大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)、
「無間地獄(むげんじごく)または、阿鼻地獄(あびじごく)ともいう」
の八つ。




百八煩悩 ひゃくはちぼんのう


百八煩悩 ひゃくはちぼんのう  
人間が持っている多くの迷いのもととなる欲望のすべてのこと。
「煩悩」は人間の悩み苦しみの意で、
それが全部で百八種あるという、仏教の教えからきた言葉。
人間の感覚をつかさどる目・耳・鼻・舌・身・意の六根に、
色・声・香・味・触・法の六塵の刺激があると、
それぞれ好・悪・平の三種、あわせて十八の煩悩が生じる。
これが浄・染の二種に分かれて三十六種、
さらに過去・現在・未来の三つに配されて合計百八種とされる。
大晦日につく除夜の鐘は、この煩悩を消滅させるため百八回鳴らされる。




風樹之嘆 ふうじゅのたん


風樹之嘆 ふうじゅのたん   
親孝行をしたいと思った時には、
すでに親は死亡してこの世には無く親孝行が出来ないという嘆き。
風樹は風にゆられている木の意。
木が静止したくても、風がやまないと静止できないように、
自分の思い通りには行かないことのたとえ。
はやく孝行すべきだったと亡き父母への思いをいう。




不惜身命 ふしゃくしんみょう


不惜身命 ふしゃくしんみょう  
仏道の教えを修め極めるために、自身の身や命を惜しまないこと。
また、そうした心構えや態度。
「不借」は、惜しまない、「身命」は、からだと命の意。




不立文字 ふりゅうもんじ


不立文字 ふりゅうもんじ  
文字を用いないで教えを授ける事。
悟りは言葉や文字で他人に教えられるものではなく、
修行を積むうちに、心から心へと伝えられるものだということ。
ことばによらず心で悟るべきであるという
禅宗の考え方を示す言葉。




報本反始 ほうほんはんし


報本反始 ほうほんはんし    
自然や祖先の恩や功に報いる事。
「本」も「始」も根本の意。「反始」は根本に戻ること。
儒教的理念のひとつ。
「本(もと)に報い始めに反(かえ)る」と訓読する。




泡沫夢幻 ほうまつむげん


泡沫夢幻 ほうまつむげん    
水の泡(あわ)と夢の幻(まぼろし)のことで、
はかないことのたとえ。
「泡」も「沫」も水の泡の意。
夢幻は夢と幻の意。
人生とは夢や幻を見て、
泡が消えていくようにはかないものだということ。




末法思想 まっぽうしそう


末法思想 まっぽうしそう
釈迦が死んだ後に仏教が衰えていき、
教えが伝わらなくなって世の中が乱れるという歴史観。
仏教の予言的思想。
末法は、釈迦が死んだ後の仏教流布の期間を
三区分した最後の時期をいう。
釈迦入滅(にゅうめつ)後の五百年を正法(しょうほう)、
次の千年を像法(ぞうほう)といい、その後の一万年を末法といって、
末法に入ると仏法の力が衰えて教法だけが残り、悪い世の中になるという。
日本では一〇五二年頃の平安中期から鎌倉時代にかけて、
この思想が広く流行し、鎌倉の新仏教の成立に影響を与えた。




夢幻泡影 むげんほうよう


夢幻泡影 むげんほうよう    
人生のむなしさ、この世のはかなさを表す言葉。
夢と幻(まぼろし)と水の泡(あわ)と物の影、
いずれもはかないものを例えている。




無二無三 むにむさん


無二無三 むにむさん      
たった一つしかなく他に類のないこと。
ただひたすらであること。
仏教語で、仏の道は二も三もなく、
ただ法華経(ほけきょう)のみがもとの意。
無三は「むざん」とも読む。




無念無想 むねんむそう


無念無想 むねんむそう     
いっさいの妄念を離れた無心のさま。
いっさい何も考えない事。
また、あらゆる雑念をはらい、すべての想念から離れ、
心が透明になり無我の境地に入ること。
「無念」は、もとは仏教語で、心に迷いのないこと、
「無想」は、何も考えない事の意。
武道の達人の境地を表すのによく用いる。




明哲保身 めいてつほしん


明哲保身 めいてつほしん    
道理に従っていれば、身を保つ事ができるという事。
賢明で道理を良く心得ており、災いにもかかわらず身を守れること。
また、道理に従って身を保とうとする事。
「明哲」は物事の道理に明るい、
「保身」は身を保つの意。
我が身の安全だけを考える人を非難する意味にも用いられる。




理非曲直 りひきょくちょく


理非曲直 りひきょくちょく   
物事の善悪、正不正のこと。
「理非」は道理にかなうこととかなわないこと。
「曲直」は曲がっていることとまっすぐなこと
(転じて)正しい事と正しくない事。
物事の是非を問う場合などに「理非曲直を糺(ただ)す」
という言い方でつかわれる。




霊魂不滅 れいこんふめつ


霊魂不滅 れいこんふめつ    
人が死に肉体は滅んでも、霊魂は永遠に存在し続けること。
またそのような思想。





老少不定 ろうしょうふじょう


老少不定 ろうしょうふじょう  
老人も若者もいつ命が尽きるかわからず、どちらが先に死ぬか
わからないこと。
人間の寿命はわからないということ。
「老少」は老人と若者、
「不定」は定まらないの意。
老人も若者も先のことはわからず、老人が必ずしも先に死ぬとは
かぎらないという、無常感を表すことば。
  



六根清浄 ろっこんしょうじょう


六根清浄 ろっこんしょうじょう  
欲や迷いを洗い流して、心身ともに清らかになること。
「六根」は仏教用語で、人間に欲や迷いを生じさせる根源である、
知覚作用をつかさどる目・鼻・耳・舌・身・意の六つの器官のこと。
山岳信仰の登山のときなどに登りながら唱える言葉。




悪因悪果 あくいんあっか


悪因悪果 あくいんあっか
悪い行為をすれば必ず悪い報いがあるということ。
悪い原因は必ず悪い結果をもたらすこと。
「悪因」は悪い結果をまねく原因。
「悪果」は悪い報いや結果。
仏教で、人の行いの善悪に応じて、その報いが現れる
「因果応報(いんがおうほう)」の思想に基づく言葉。




悪人正機 あくにんしょうき


悪人正機 あくにんしょうき
悪人こそ、仏の真の救いが得られるという考え方。
「悪人」とは、自己の罪を自覚する者のこと。
この世には善人と悪人がいるが、法律や一般的・常識的な
視点によるものではなく、
どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、
すべての人は悪人である。
阿弥陀仏の光明に照らされ真実に目覚させられた時に、
自らがまことの善は一つも出来ない「悪人」であると気付かされる。
阿弥陀仏が救済したい対象は衆生であり、すべての衆生は、
末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。
よって「悪人」であると目覚させられた者こそ、
阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意。
浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想。




異端邪説 いたんじゃせつ


異端邪説 いたんじゃせつ
間違った学説やよこしまな思想、正統でない宗教などのこと。
本筋の正しい道からはずれた説や正統でない学説や
宗教などをさしていう。
または、正統の中にあって意義を唱える説や時流に逆らった
学説や思想についていうこともある。
「異端」は、正しい道や一般的な説から外れていること。
また、少数派の主張。
「邪説」は、よこしまな考え、間違った説のこと。




一刀三礼 いっとうさんらい


一刀三礼 いっとうさんらい
仏像を彫刻する態度が敬虔(けいけん)であること。
仏像を彫刻するとき一刻みするごとに、
信仰の心をこめて三度礼拝すること。
転じて、慎重で敬虔な仕事姿勢をさす。
「一刀」は、ひとたび刀を入れる、
「三礼」は、三度礼拝する意。
写経では「一字三礼」、仏画では「一筆三礼」という。




陰徳陽報 いんとくようほう


陰徳陽報 いんとくようほう
めだたない善行は報われるということ。
人知れぬ恩徳をほどこした者は、
目に見えた恩恵を必ず受けるという意。
善行は他人のためや、人に認めてもらうためにするもの
だけではなく、自分が幸せになるために必要なことだから、
人知れず行なうものだということ。




陰陽五行 いんようごぎょう


陰陽五行 いんようごぎょう
中国の春秋戦国時代ごろに起源した世界観。
古代中国では、太陽は陽(よう)で月は陰(いん)、
奇数が陽で偶数が陰、表が陽で裏が陰というふうに、
自然界のあらゆるものを陰と陽にわけた陰陽思想と、
自然界は木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)の
五つの要素で成り立っており、
その五つの要素が循環することによって
万物が生成され自然界が構成されているとする五行思想の
二つが結び付いて生まれた陰陽五行思想のこと。
「陰陽」は、天地間にあって万物を作り出す二つの気の名。
「五行」は、天地間に循環流行してすべての物を生じる
五つの物質で木・火・土・金・水をいう。




延命息災 えんみょうそくさい


延命息災 えんみょうそくさい
災いを除き、寿命を延ばすこと。
無事に過ごすこと。
何事もなく長生きすることを願い祈ることば。
「息災」は、災難や病魔を仏の力で退散させること。
また、無事で元気なこと。
「延命」は、長生きすることで、「えんめい」とも読む。
「息災延命(そくさいえんめい)」ともいう。




恩愛之絆 おんあいのきずな


恩愛之絆 おんあいのきずな
仏教で、情愛に対して執着する心のこと。
親子・夫婦など、肉親間の愛情こもった思いやりが深いこと。
肉親間の深くて断ち切り難いつながりのことをいう。
「恩愛」は、「おんない」とも読み、思いやりや情けのこと。




開闢以来 かいびゃくいらい


開闢以来 かいびゃくいらい
天と地ができ、世界が始まって以来のこと。
有史以来の大事件や大事業などを形容することば。
また、信仰の地としての山を開いたときや、
寺院などをつくるときのこと。
「開闢」は、世の中の始まりのこと。
天と地は元々一体のものであったのが、
上下に別れた時この世が始まったという神話に基づく。




加持祈祷 かじきとう


加持祈祷 かじきとう
神仏の加護を祈ること。
密教の行法に始まり、民間信仰にも広まった祈祷のこと。
神仏の加護を求める行法を修め、これにより怨霊を退けて
病気や災いの除法などの現世での利益を祈ること。
「加持」は、神仏がその不思議な力で衆生を守ることで、加護のこと。
「祈祷」は、神や仏に祈ること。
一般に、病気・災難などをはらうために行う祈祷、または、その儀式。
「加持祈禱」とも書く。




帰命頂礼 きみょうちょうらい


帰命頂礼 きみょうちょうらい
地に頭をつけて礼拝し、心から仏を信仰すること。
身命を仏に捧げ、教えに従う厚い信心のこと。
「帰命」は、身命を捧げて、仏・法・僧の三宝に帰依(きえ)すること。
「頂礼」は、古代インドでの最高の敬礼で、
頭を地につけて神仏の足下を拝する礼。
また、仏に祈念する時、はじめに唱える言葉。




窮鳥入懐 きゅうちょうにゅうかい


窮鳥入懐 きゅうちょうにゅうかい
「窮鳥 懐(ふところ)に入れば猟師も殺さず」の略で、
追い詰められた鳥が猟師のふところに逃げ込んできたら、
殺そうとしていた猟師も残酷には扱えず、助けてやるということ。
(転じて)
追い詰められて、逃げ場を失った人が救いを求めてくれば、
どのような理由であろうとも、見殺しにはできないということ。
困った人を助けるのが人の道であるというたとえ。




救世済民 きゅうせいさいみん


救世済民 きゅうせいさいみん
乱れた世の中をよくし、人々を苦しみや難儀から助けることの意。
「救世」は、悪い世の中を救ってよいほうに導くこと。
とくに宗教の力により、この世の苦しみから人々を救うこと。
「済民」は、人々をこの世の苦しみや難儀から救うこと。




叫喚地獄 きょうかんじごく


叫喚地獄 きょうかんじごく
ひどい苦しみに泣き叫ぶこと。
仏教語で八大地獄の第四番目。
生前に、殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)
・飲酒(おんじゅ)をした亡者が送られて、
熱湯や猛火の中で責められ、苦しんで泣きさけぶという地獄をいう。
そして号泣、叫喚する亡者が、許しを請い哀願する声を聞いた
獄卒は、さらに怒りの咆哮をあげて亡者をますます責め、
焼けた鉄の地面を走らされたり鉄の棒で打ち砕かれるという。
このような恐ろしい責め苦が人間界の時間で
852兆6400億年つづくという。




教外別伝 きょうげべつでん


教外別伝 きょうげべつでん
仏教における禅宗の教えで、
仏の悟りを伝えるのに、言葉や教典などの文字によらず、
直接心から心へと伝えるものであるということ。
悟りとは経典などから得られる文字の上での教えとは別に、
直接心に伝導せしめること。
「不立文字(ふりゅうもんじ)」とともに禅の立場を示す代表的なことば。
「きょうがいべつでん」とも読む。




狂言綺語 きょうげんきご


狂言綺語 きょうげんきご
人の気を引くように、おおげさに飾りたてたことば。
道理に合わない言葉や、表面だけを巧みに飾ったことばのこと。
「狂言」は道理にはずれたことば。
「綺語」は飾り立てたことば。
元来、儒教や仏教の立場からみて、虚構や文飾の多い小説や物語、
また歌舞音曲などを、道理に背く行為として、卑しめていったことば。
うそをまことしやかに、巧みに仕組んだ事柄の意にも使われる。
「きょうげんきぎょ」とも読む。




教唆煽動 きょうさせんどう


教唆煽動 きょうさせんどう
教え唆(そそのか)して他人に行動させること。
「教唆」は、暗示を与えてそそのかすこと。
また、法律上では他人に不法行為の実行を決意させること。
「煽動」は、事を起こすように煽(あお)り、実行させること。
「教唆扇動」とも書き、良い意味で使われることはない。




極楽浄土 ごくらくじょうど


極楽浄土 ごくらくじょうど
仏教用語の1つで、この世でよいことをした人が死後行くところ。
また非常に清らかで、あらゆる苦しみから解放されて
幸福に満ちている世界のこと。
阿弥陀仏(あみだぶつ)がいるとされる安楽な理想の世界。
「極楽」は仏教で西へ十万億の仏国土を行った先にあり、
「浄土」は悟りの境地に至った仏や菩薩が住む清らかなところである。




後生大事 ごしょうだいじ


後生大事 ごしょうだいじ
物を大事に所持すること。
もともとは仏教語で、後生(来世)の安楽を願って信心を忘れず、
善行を積むことの意であったが、本来の意味から離れ、
一般に、いつまでも物を大切に保管することの意に転じたことば。
また、つまらない物を大切に保有していることを
揶揄(やゆ)して用いることが多い。




五倫五常 ごりんごじょう


五倫五常 ごりんごじょう
人として常に守るべき道徳のこと。
儒教の教えで基本的な人間関係を規律する徳目のこと。
「五倫」は、人として守るべき、君臣の義、父子の親、
夫婦の別、長幼の序、朋友の信の五つの道をさし、
「五常」は、仁・義・礼・智・信の五つの得目をさす。




三綱五常 さんこうごじょう


三綱五常 さんこうごじょう
儒教の基本道徳のこと。
三つと五つとに数えあげられる、人として守るべき大切な道。
「三綱」は、人間が重んずべきである君臣・父子・夫婦の
三つの道のこと。
「五常」は、人が常に守るべきである仁・義・礼・智・信の
五つの得目のこと。
これが儒教社会を支える基本道徳とされた。




三世之縁 さんぜのえん


三世之縁 さんぜのえん
三世までも切れることのない縁。
前の世もあの世までも結ばれている、主従の縁をいう。
主従の契りは、過去・現在・未来に渡るということ。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世と、
その結びつきがきわめて強いこと。
「さんぜのえにし」ともよむ。




只管打坐 しかんたざ


只管打坐 しかんたざ
あらゆる雑念をはらい、ただひたすらに座禅を修業すること。
「只管」は、ひたすら一つのことに専念すること、一途の意。
「打坐」は、座ること、座禅をすること。
座禅は、両足を組んですわり、精神統一をもって、
無の境地に入る禅の修業のこと。




至誠如神 しせいじょしん


至誠如神 しせいじょしん しせいはかみのごとし
まごころのある人は神のように不思議な明察力を持つということ。
まごころに満ちた人は、その心が清らかで神のように澄んでおり、
物事の成否や善悪をはっきりと見通すことができるということ。
まごころの働きは人知の及ばないほど優れていること。
「至誠」は、きわめて誠実なこと。




死生有命 しせいゆうめい


死生有命 しせいゆうめい しせいめいあり
死ぬも生きるも人の命は人間の力では
どうすることもできないということ。
人の生死は天命により定められてるもので、
人力の及び難いものであること。




七堂伽藍 しちどうがらん


七堂伽藍 しちどうがらん
寺院の主要な七つの建物のこと。
また、七つの堂のそろった大きな寺。
「七堂」は宗派により異なるが、一般に塔・金堂(こんどう)
・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂(じきどう)のこと。
禅宗では山門・仏殿・法堂(はっとう)・庫裡(くり)
・僧堂・浴室・東司(とうす/便所)を指すことが多く、
この七堂が寺院にあるべき主要な建物とされた。
「伽藍」は寺院の建築物。




生生流転 しょうじょうるてん


生生流転 しょうじょうるてん せいせいるてん
万物が生まれては死に、死んでは生まれることの意。
すべての物は絶えず変化し移り変わってゆくこと。
仏教の死生観に基づくことば。
「生生」は、物が次々と生まれ育つこと。
「流転」は、絶え間なく移りかわること。




生老病死 しょうろうびょうし


生老病死 しょうろうびょうし
人生の四つの苦しみ。
人間としてこの世にある限り避けることのできない苦しみ。
すなわち、生まれること。年をとること。
病気をすること。そして、死ぬことの四大苦。
仏教語。四苦ともいい、また、四天使ともいわれる。




心願成就 しんがんじょうじゅ


心願成就 しんがんじょうじゅ
宿願の達成。
心の中で願い続けていた希望や夢がそのとおりにかなうこと。
「心願」は、心の中で神仏に立てる願。神仏に願をかけて祈ること。
「成就」は、思ったとおりに実現すること。
神や仏などに心から祈っていると、願いはかなえられるということ。
ただし願いをかなえさせるにはまず自分自身の強い思いが
必要であり、達成するように自分で行動し努力することが大事である。




仁者無敵 じんしゃむてき


仁者無敵 じんしゃむてき
情け深い人は、人から憎まれないということ。
また、仁徳者は慈愛をもって政治を行い、
人民を分け隔てなく愛するから敵対する者がいないということ。
「仁者」は、儒教道徳の根本原理である「仁」の徳を備えている人、
仁政を施す為政者のこと。
梁(りょう)の恵王(けいおう)が、「自分に敵対する者がいるか。」と
問うたのに対して、ある人が「民衆は、仁政をなす王に心から従い、
敵対する者はいない。」と答えた故事から。
仁徳の備わった人は、すべての人に愛情をもって接するので、
敵というものがないということ。
「仁者は敵無し(じんしゃはてきなし)」と訓読する。




心身一如 しんしんいちにょ


心身一如 しんしんいちにょ
心身の充実。
精神と肉体が一体になること。
また、物事に向かって集中している様子。
仏教では、心と身体は表裏一体で切り離せないものであるということ。
「心身」は、からだと心。
「一如」は、真理はただ一つであることの意。
「身心一如」とも書き、(しんじんいちにょ)とも読む。




身中之虫 しんちゅうのむし


身中之虫 しんちゅうのむし
内から生じる災いの例え。
味方の中にあって裏切る者、恩をあだで返す者などのこと。
「獅子身中の虫獅子を食らう」の略で、
獅子の体内に寄生して、ついには獅子を死に至らせる虫の意。
もとは仏教語で、仏教徒でありながら仏教に害をもたらす者の
ことをいったことば。




真如之月 しんにょのつき


真如之月 しんにょのつき
真理により解脱(げだつ)するさま。
明月がやみを照らすように、
真理によって煩悩(ぼんのう)の迷いがはれること。
「真如」は、仏教語で、あるがままにあること、ものの真実の姿の意。
宇宙万物の存在の本質、根元的な実体。




善因善果 ぜんいんぜんか


善因善果 ぜんいんぜんか
よい行いをしていれば、後によい結果に報いられ
幸せをもたらすということ。
よい行いには、よい果報があるということ。
「善因」は、幸せを招く原因となるよい行いのこと。
「善果」は、よい行いの結果であるよい報い。
仏教で、人の行いの善悪に応じて、その報いが現れる
「因果応報(いんがおうほう)」の思想に基づく言葉。
対義語に「悪因悪果(あくいんあっか)」がある。




惻隠之心 そくいんのこころ


惻隠之心 そくいんのこころ
人の気の毒なさまを見ていたわしく思う心。
他人の不幸を憐れみいたむ心。
「惻」は、憐れみいたむ、
「隠」は、自らいたく感ずること。
孟子が説いた「四端説(したんせつ)」の一つで
「惻隠の心は仁の端(たん)なり」と述べているのに基づく。
相手の身になって心から憐れむというのが仁の基本だとされる。
「惻隠の情」ともいう。




即身成仏 そくしんじょうぶつ


即身成仏 そくしんじょうぶつ
人間が現世の肉体のまま仏になること。
空海の「即身成仏儀」により確立された真言密教の教義。
ふつうの人でも現世において悟りを開けば、
現在の身体のまま仏陀(ぶっだ/悟りを得た者)になれることをいう。
また、「即身仏」と「即身成仏」は、よく混同されるが全く別物である。
「即身仏」は、修行者が瞑想を続けてそのままミイラ化し仏になること。
「即身成仏」は、生きている状態で悟を開くこと。生き仏のこと。




多生之縁 たしょうのえん


多生之縁 たしょうのえん
きわめて因縁が深いこと。
人と人との関係はこの世に生まれ出る前からの
深い因縁によるもので、
どんな出会いも大切にしなくてはならないという仏教的な考え方。
「多生」は「他生」とも書き、「袖振(そでふ)り合うも多生の縁」
また「袖すり合うも他生の縁」ともいい、
見知らぬ人と、たまたま道ですれ違うときに
袖が触れ合うような程度のことも、
偶然によるものではなく宿縁に基づくものであるということ。
「多生」は、何回も生まれかわること「輪廻転生」の意。
生死の繰り返しの中で結ばれている因縁。
「他生」は、この世以外の意味で、前世からの因縁の意。




長幼有序 ちょうようゆうじょ


長幼有序 ちょうようゆうじょ
年長者と年少者との間には、守るべき秩序があるということ。
大人は子どもより、年長者は年少者より立場が上である。
また、国政を正しく導く為には、礼が重要な役割を果たす。
そのことを日常生活に即して、具体的に示したもの。




天道無親 てんどうはしんなし


天道無親 てんどうはしんなし
(天道は親無し)

天は人を選んだり依怙贔屓(えこひいき)などはしない。
天は公平公正で、特定の人を特別扱いなどせず、
常に善人に味方するということ。
「親」は、親しくする、仲良くするなどの
個人的な好き嫌いの感情のこと。




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