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逆引き 四字熟語 四文字熟語辞典 > 無知な人 愚者に関する四字熟語



暗愚魯鈍 あんぐろどん


暗愚魯鈍 あんぐろどん  
無知で道理がわからないこと。
「暗愚」は道理がわからず愚かなこと。
「魯鈍」は愚かでにぶいことの意。


唯唯諾諾 いいだくだく


唯唯諾諾 いいだくだく     
事の善し悪しにかかわらず、相手の言う事に逆らわずに、
何でもはいはいと従い、言いなりになること。
「唯唯」は、はいはいと従順に従うこと、
「諾諾」は、承諾の意で、他人の言うままに従うこと。



一知半解 いっちはんかい


一知半解 いっちはんかい  
物事を十分に理解しておらず、なまかじりであること。
中途半端に理解して、知識が自分のものになっていないこと。
一つの知識も実はその半分も理解していないことから、
知識が浅薄(せんぱく)なことの例え。


内股膏薬 うちまたごうやく


内股膏薬 うちまたごうやく  
自分の主義や主張もなく、そのときの都合次第で、
あちらについたり、こちらについたりするような人。
内股に貼った膏薬が、
右側にくっついたり左側にくっついたりする意から。
「膏薬」は「こうやく」とも読む。




燕雀鴻鵠 えんじゃくこうこく


燕雀鴻鵠 えんじゃくこうこく  
小人物には大人物の大きな志はわからないということ。
「燕雀」はツバメとスズメのことで小人物をさし、
「鴻鵠」はオトトリやクグイのことで大人物にたとえる。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)」
という形で用いる。
小さな鳥には、大きな鳥の志すところは理解できない。
小人物は大人物の心の中を知り得ないという例え。




拱手傍観 きょうしゅぼうかん


拱手傍観 きょうしゅぼうかん  
手をこまねいて何もしないこと。
そばで眺めているだけで、なにもしないさま。
関心はあっても協力しない時にもつかう。
「拱手」は、何もしないでいるさま、
「傍観」は、かたわらでただ見ている事の意。
「拱手」は「こうしゅ」とも読み、もとは中国の敬礼の一つで、
両手を胸の前で重ね合わせる動作をいう。


愚者一得 ぐしゃいっとく


愚者一得 ぐしゃいっとく  
愚かな者でも、たまには名案の一つを考えつくことがあるということ。
また、自分の意見を述べる時に謙遜して言う言葉。
『「知者も千慮(せんりょ)に必ず一失あり、
愚者も千慮に必ず一得あり」といい、
どんな知恵者でも千に一つぐらいは良くない考えはあるものだし、
愚かな者でも千に一つぐらいは妙案を考えるものである。』から、
人の話は心して聞くものであるという意。




愚問愚答 ぐもんぐとう


愚問愚答 ぐもんぐとう  
くだらない質問とばかげた回答。
まったく実りのない、つまらない問答。
「愚問」は自分の質問の謙称(けんしょう)としても用いられる。


軽挙妄動 けいきょもうどう


軽挙妄動 けいきょもうどう    
道理や事情もわきまえずに軽はずみな行動をとること。
軽く企てて、みだりに動くこと。
向こう見ずな振る舞いのこと。
「軽挙」は軽はずみな行動、
「妄」はみだり、うそ、でたらめなどの意で、
「妄動」は考えもなしに行動すること。




厚顔無恥 こうがんむち


厚顔無恥 こうがんむち    
きわめて厚かましく、恥知らずなさま。
他人の迷惑などは一切かまわず、図々しく自分の都合だけを考え、
主義主張を押しすすめる態度をいう。




口耳之学 こうじのがく


口耳之学 こうじのがく  
受け売りの知識、耳学問のこと。
耳から入って口から出る学問。
他人の学説を鵜呑みにするような底の浅い、自分の身につかない
いい加減な学問という意。




荒唐無稽 こうとうむけい


荒唐無稽 こうとうむけい  
言うことや考えに根拠がなく、現実性のないこと。
とりとめのないこと。
でたらめ。
「荒唐」は、「荒」(何も無く広い)と、「唐」(大きい)を重ねて、
大げさで中身がなくとりとめのないこと。
「無稽」は、「稽」(考え)が無い、根拠がない考えのことの意。





呉下阿蒙 ごかあもう


呉下阿蒙 ごかあもう       
昔のままで、いつまでも進歩のない人物。
無学でつまらない人。
相変わらずの無学者をいう。
「呉下」は呉の国にいる、
「阿」は人名に添えて親しみを示す接頭語で、
「阿蒙」は蒙さんという意。

中国の三国時代、呉の魯粛(ろしゅく)が呂蒙(りょもう)に会ったとき、
その学識の深さに「もはや昔の呉にいた蒙さんではない」と感服したという故事から。





尸位素餐 しいそさん


尸位素餐 しいそさん      
その人に才能も実績もないのに高い地位につき、
いたずらに給料をもらっていること。
「尸位」は昔の中国で祖先を祭るとき、その子孫を
祖先の神に見立てたところから、
何もしないのに高い地位につくことのたとえ。
「尸」はかたしろ、神の代わりとなって祭を受ける人。
「素餐」は何もしないでご馳走にありつくこと。





自家撞着 じかどうちゃく


自家撞着 じかどうちゃく     
同じ人の言動や文章が前と後ろとで矛盾して、
つじつまが合わないこと。
自分で自分の言行に突き当たるようなことを言ったり、
したりすること。
「自家」は自分自身、
「撞着」はつき当たること、つじつまが合わないことの意。





時代錯誤 じだいさくご


時代錯誤 じだいさくご     
時勢を無視して昔のままのやり方を守ろうとすること。
時代遅れの古い考え方。
時代の異なるものを混同して考える事、
または時代の流れに逆行している事。
アナクロニズム。




小人閑居 しょうじんかんきょ


小人閑居 しょうじんかんきょ  
つまらぬ人間は暇をもてあますと、とかく悪い事をするということ。
「小人」は人徳の無い品性の卑しい人、器量の小さい人の意。
「閑居」は仕事も無く暇でいること。
「小人閑居して不善を為す」とある。




責任転嫁 せきにんてんか


責任転嫁 せきにんてんか     
自分のしたことやその結果を人のせいにしたり、
他人になすりつけたりすること。
「責任」は、自分のしたことや、
かかわった事柄についての結果に対して負う義務、
「転嫁」は、他になすりつけるの意。





浅学非才 せんがくひさい


浅学非才 せんがくひさい  
学問や知識が浅く、才能にも乏しい事。
また、その人。
「浅学」は学問や見識が浅い事で、自分の事を謙遜していう言葉。
「非才」は「菲才」とも書き、
「菲」は野菜のかぶのことで、粗末なこと、少しの意。





私利私欲 しりしよく


私利私欲 しりしよく      
自分の利益だけを考えて行動しようとする欲望のこと。
「私利」は自分だけの利益、
「私欲」は自分だけをよかれとする卑しい心の意。





大言壮語 たいげんそうご


大言壮語 たいげんそうご     
実力のない人が、大きなことを偉そうにいうこと。
また、そのことば。
おおぼらを吹くこと。
「大言」は大きなことをいうこと、
「壮語」は勇ましいことばの意。
偉そうになんでも出来るような事を言うことで、
良い意味には使われない。




朝三暮四 ちょうさんぼし


朝三暮四 ちょうさんぼし    
ずるい方法や言葉巧みに人をだましたり、愚弄(ぐろう)したりすること。
また、目の前の差にこだわって、同じ結果であることに気づかない事。
昔、ある人がサルのエサを減らす必要に迫られ、
木の実を朝三個、暮れ四個にしようとすると、サルは怒った。
しかし、逆に朝四個、暮れ三個やるというと、サルは大喜びしたという寓話から。
愚かな者が人の言葉の内容を深く考えない事。




張三李四 ちょうさんりし


張三李四 ちょうさんりし     
身分が高いわけでもなく、有名でもない、ありふれた人のこと。
平凡でつまらない人のたとえ。
張さんの家の三男と李さんの家の四男がもとの意で、
張も李も中国ではありふれた姓。




朝令暮改 ちょうれいぼかい


朝令暮改 ちょうれいぼかい   
命令や法規が頻繁に変わる事。
または、法令が頻繁に出る事であてにならないこと。
朝に出した命令を日暮れには改めてしまうがもとの意。




田夫野人 でんぷやじん


田夫野人 でんぷやじん      
教養のない粗野の人。
態度やふるまいに品格がない人。
無風流な人。
「田夫」は百姓・田舎者、
「野人」は粗野で乱暴な人の意。
また、素朴で誠実な人などの意。



道聴塗説 どうちょうとせつ


道聴塗説 どうちょうとせつ  
道で聞いた話を、そのまますぐに知ったふりをして他人に道で説明すること。
(転じて)
人の話を聞いても、それを心にとどめて自分のものにしないこと。
学問が身についていないこと。
話の受け売り、いいかげんな噂話。
「道聴」は道で聞くこと。
「塗」は「途」と同じで道の事で、
「塗説」は道で説くの意。
根拠のない言葉やデマの意にも使われる。




陶犬瓦鶏 とうけんがけい


陶犬瓦鶏 とうけんがけい     
外見は立派だが、実際は何の役にも立たないもの。
「陶犬」は焼き物の犬、
「瓦鶏」は素焼きのニワトリの意。
焼き物の犬は吠えないから番犬にならず、
素焼きのニワトリは夜明けを告げないという意から。




蟷螂之斧 とうろうのおの


蟷螂之斧 とうろうのおの     
力の弱い者が自分の力をわきまえず、無鉄砲な勇気を奮って強者に立ち向かうこと。
はかない抵抗のたとえ。
「蟷螂」はカマキリ、
「斧」はカマキリの前脚の意で、カマキリは前脚をあげて、相手構わずに立ち向かうことから。

斉(せい)の荘公(そうこう)が狩りに出かけたとき、カマキリが車を
打とうとして、前脚をあげて向かった、荘公は「これが人間なら天下の勇者になれるだろう」と言った故事による。
身の程知らずな行いのたとえ。




薄暮冥冥 はくぼめいめい


薄暮冥冥 はくぼめいめい     
薄暗くて物事がはっきり見えないさま。
(転じて)
無知なこと。
「薄暮」は夕暮れ、たそがれ、
「冥冥」は暗いさま、はっきりしないさまの意。




伴食大臣 ばんしょくだいじん


伴食大臣 ばんしょくだいじん   
無能な大臣のこと。
その職・地位に就いてはいるが実力や才能がなく、
人まかせや他人のいいなりになっている大臣。
「伴食」は正客のお供をしてごちそうになることの意。




皮相浅薄 ひそうせんぱく


皮相浅薄 ひそうせんぱく     
ものごとの見方がうわべだけで、観察や判断などの思慮に欠け
浅はかなこと。
また、知識や学問がきわめて浅いこと。
「皮相」はうわべ、表面、
「浅薄」は浅はかなことの意。




付和雷同 ふわらいどう


付和雷同 ふわらいどう      
自分に明確な主義主張がなく、自分でものごとを判断せずに、
他人の意見や行動にすぐ同調すること。
「付和」は他人の意見にすぐ相槌を打ち簡単に従うこと、
「雷同」は雷が鳴るのに応じて物が反響するように、
わけもなく軽率に同調するの意。
付和は「附和」とも書く。




暴虎馮河 ぼうこひょうが


暴虎馮河 ぼうこひょうが     
向こうみずに無謀な行動をとることのたとえ。
また、命知らずで血気盛んなこと。
「暴虎」はトラを素手で殴ること、
「馮河」は黄河を歩いて渡るの意。
どちらも身の程知らずで無謀な行為のたとえ。



無学文盲 むがくもんもう


無学文盲 むがくもんもう     
学問や知識がなく、文字も読めないこと。
また、そのような人。
「無学」は学がない、
「文盲」は字が読めないの意。
比喩的に用いることが多い。




無芸大食 むげいたいしょく


無芸大食 むげいたいしょく    
なんの芸や才能もなく、ただ人並み以上に食べるだけのこと。
また、そういう無能な人をあざけっていうことば。



無知蒙昧 むちもうまい


無知蒙昧 むちもうまい      
知恵がなく、ものの道理がわからないこと。
知恵がなくて、愚かなこと。
「無知」は「無智」とも書き、知恵がないこと、
「蒙昧」は愚かで道理にくらいの意。



夜郎自大 やろうじだい


夜郎自大 やろうじだい      
自分の本当の力量を知らないで、威張ること。
つまらぬ人間が世間知らずでいばること。
ひとりよがりすること。
自分だけえらい気でいる者のこと。
中国漢の時代、西南部に夜郎国という小さな国があったが、
そこの王が漢王朝の使者に向かって、自分の国と漢の国とは
どちらが大きいかを、大まじめに問うたという故事から。




唯我独尊 ゆいがどくそん


唯我独尊 ゆいがどくそん  
自分だけが一番偉いとうぬぼれること。
本来は釈迦(しゃか)が生まれてすぐに立ち一方の手で天を指し
もう一方の手で地を指し七歩歩いて
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」
といったという故事から。
現在では、ひとりよがりの意で多く用いる。



遼東之豕 りょうとうのいのこ


遼東之豕 りょうとうのいのこ   
世間知らずで見識が狭いこと。
他人が見れば何でもないごくありふれたことを、
ひとりよがりで得意に思うこと。
当たり前のことを得意になって自慢すること。
「豕」はブタの意。
昔、中国の遼東の人が、珍しい白頭のブタを天子に献上しようとして
河東まで来たが、河東ではすべて白頭だったので、
恥じて引き返したという故事から。




対牛弾琴 たいぎゅうだんきん


対牛弾琴 たいぎゅうだんきん
牛に対して琴を弾いて聞かせる意から、
いくら言い聞かせても効き目がなく無駄なこと。
愚かな者に向かって高尚な道理を説いてもわからないことのたとえ。
また、せっかくの好意や努力が無駄に終わること。
魯(ろ)の国の賢人公明儀(こうめいぎ)が牛の前で琴を弾いたが、
牛は知らぬ顔で草を食べ続けたという故事による。
「牛に対して琴を弾ず」と訓読する。




意志薄弱 いしはくじゃく


意志薄弱 いしはくじゃく
意志が弱く我慢強さに欠けること。
自分の行動を抑制したり、物事を我慢する気持ちの弱いこと。
自分の判断で一度決めたことでも、
人に言われるとすぐ心が揺らぎ変えてしまう場合にもいう。




火中之栗 かちゅうのくり


火中之栗 かちゅうのくり
危険な目に遭うことを承知の上で、
他人の利益のために困難な事態に手を出すこと。
自分の利益にもならないのに、
紛糾(ふんきゅう)した事態を収拾するために介入すること。
また、危険を冒して得た利益を
他人に横取りされてしまう意にも用いる。
猿におだてられた猫が、暖炉の火の中に手を延ばし、
焼けた栗を取り出して大やけどをしたという
ラ・フォンテーヌの寓話に基づくフランスのことわざ。
「火中の栗を拾う」の略。




記問之学 きもんのがく


記問之学 きもんのがく
古い書物を読んで、ただ暗記しているだけにすぎない学問のこと。
知識があるだけで、それを十分生かすことのできないこと。
また、実生活では何の役にも立たない学問のこと。
人の反論や質問をあらかじめ予想して、
いろいろなことを暗記しておき、
それをやたらに講釈する学問の態度にもいう。




驕奢淫逸 きょうしゃいんいつ


驕奢淫逸 きょうしゃいんいつ
思うままにぜいたくをし、人の道に外れたみだらな行いをすること。
また、そのさま。 主に酒色についていうことば。
「驕奢」は、驕(おご)り高ぶって思うままにぜいたくをすること。 
「淫逸」は、みだらな行いをすること、淫楽にふけること。
金にあかして淫らな堕落した生活を送るたとえ。




魚遊釜中 ぎょゆうふちゅう


魚遊釜中(魚游釜中) ぎょゆうふちゅう
死が近づいていることのたとえ。
もうすぐ煮られることもしらず釜の中で泳ぐ魚の意で、
滅亡の近いことも知らずに、暢気(のんき)に遊んでいることのたとえ。
また、危険が目前に迫っていることのたとえにもいう。
「遊」は、およぐ、あそぶの意。
「魚(うお)釜中(ふちゅう)に遊ぶが如し」ともいう。




自己顕示 じこけんじ


自己顕示 じこけんじ
自分の才能・力・実績をことさら他人に見せびらかすこと。
また、自分を実力以上に見せかけること。
自分の存在を必要以上に目立たせ、他人の注意をひくこと。
「顕示」は、はっきり示すこと。
謙虚さを伴わない場合が多い。




蜀犬吠日 しょっけんひにほゆ


蜀犬吠日(蜀犬日に吠ゆ) しょっけんひにほゆ
無知のため、あたりまえのことでも疑いを抱くこと。
見識の狭い者が、賢人の言行を疑って非難することのたとえ。
蜀(四川省)は四方を高い山に囲まれており、
いつも雲や霧に深くとざされているので、
たまに日が出ると犬が怪しんでほえるように、
見識の狭く乏しい人間が、卓越した言行をなす人間に対して
無知なために疑い怪しみ、非難攻撃すること。




吹毛之求 すいもうのきゅう


吹毛之求 すいもうのきゅう すいもうのもとめ
あら探しをすること。
毛を吹いて隠れた傷を求める。
(転じて)
他人の欠点や後ろ暗いことを探し求めること。
また、人の過ちを暴こうとしてかえって自分の悪事を暴露するたとえ。




井蛙之見 せいあのけん


井蛙之見 せいあのけん
狭い見識のこと。
世間知らず。
「井蛙は以(もって)海を語る可(べ)からず」
(井戸の中に住んでいる蛙に海の話をしてもわからない。
それは自分の狭いすみかに世界を限定されているからである)から。
見識の狭い世間知らずに世の中のことを話しても仕方がないという
例え。




刻舟求剣 こくしゅうきゅうけん


刻舟求剣 こくしゅうきゅうけん
時勢の移り変わることに気づかず、
いつまでも古いしきたりや習慣を守ることの愚かしさのたとえ。
あるいは、そのような愚か者のことをいう。
また、頑固で融通のきかない者のたとえにも使われる。

舟から川の中に持っていた剣を落とした者が、
舟が流れ動いているにもかかわらず、あわてて舟ばたに印をつけた。
舟が止まると、その目印の所から水に入って剣を探したが、
結局は見つからなかったという故事から。
「舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)」と訓読する。
また、単に「刻舟(こくしゅう)」とも言い、
「剣を落として船を刻む」ともいう。




西施之顰 せいしのひそみ


西施之顰 せいしのひそみ
やたら人のすることや、物事の表面だけをまねること。
善し悪しも考えずに、人のまねをして物笑いになること。

美女の西施(せいし)が胸を病んで、咳をするたびに
眉をひそめる様が美しかったために、醜い女たちもそれをまねして
眉間(みけん)にしわをよせ、気味悪がられたという。
女たちは、西施の美しさを理解しても、ひそめた眉がどうして
美しく見えるのかまでは理解できなかったという故事による。
このように、外形にだけとらわれてその本質や根本の理由を
理解できないことをいう。

また、不美人が、柄(がら)でもないのに美人の真似をする、
ということから、他人の優れた仕事にならったり、業績にあやかったり
することを、「西施の顰に倣(なら)う」といい、
謙遜のことばとしてつかう。




損者三友 そんしゃさんゆう


損者三友 そんしゃさんゆう
交際すると損をする三種類の友人のこと。
すなわち、人に媚びへつらう者、「便辟」(べんぺき・不正直)、
人あたりは良いが誠実でない者、「善柔」(ぜんじゅう・不誠実)、
口先ばかり達者な人、「便佞」(べんねい・口達者)の人たちを言い、
友とするのは害であるということ。
「損友」ともいう。




同而不和 どうじふわ


同而不和 どうじふわ どうじてわせず
小人(しょうにん/下らない人物)の交際の意。
修養が足りず思慮の浅い人は、
考えもなくむやみに人の言うことに同調するが、
心から仲良く付き合うことない。
「論語」の「君子和而不同。小人同而不和。」
(君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず)から。
君子と小人を比較して言った孔子のことば。
「同」は、同調する意で、他人の意見に引きずられて、
むやみに共鳴すること。
「和」は、調和・協調の意で、それぞれの個性を生かしながら、
他人と調和するように心がけること。




掩耳偸鈴  えんじちゅうれい


掩耳偸鈴  えんじちゅうれい えんじとうりん
鈴の音が聞こえないよう、自分の耳をふさいで盗むことから。
罪を隠したつもりでも、まわりの人には知れ渡っていること。
間の抜けた仕事をすることの意。
また、人の道にそむくことをしながら、強いてそれを思わぬようにし、
自分の良心をあざむき悪事をするという意もある。
「耳を覆って鈴を盗む(みみをおおってすずをぬすむ)」と訓読する。




尾生之信 びせいのしん


尾生之信 びせいのしん
堅く約束を守って融通のきかないことのたとえ。
よい意味では、信義を尽くして堅く約束を守ること。
悪い意味では、融通がきかないでばか正直なこと。

春秋時代、魯(ろ)の尾生という男が、
女と橋の下で会うことを約束し待っていたがその女はなかなか来ず、
やがて雨が降りだして、そのうちに大雨となった。
川が増水してもなお、男は約束を守ってその場を離れず、
ついに橋脚を抱いたまま溺れ死んだという故事に基づく。
融通のきかない人をあざけって言う、悪い意味に用いることが多い。




面従後言 めんじゅうこうげん


面従後言 めんじゅうこうげん
面と向かっているときはこびへつらい、
従ったふりをして後で陰口をいうこと。
「面従」は、人の面前だけへつらい従うこと。
「後言」は、陰で悪口を言うこと。




沐猴而冠 もっこうじかん


沐猴而冠 もっこうじかん
外見だけが立派で中身が伴わないこと。
「沐猴にして冠(かん)す」と訓読し、
「沐猴」は、猿のこと。
冠をかぶった猿の意で、
(転じて)
見せ掛けばかりで実体がないこと。
衣冠だけが立派で心は猿に似ており、
性質が軽々しく乱暴なのをあざけったことば。




用管窺天 ようかんきてん


用管窺天 ようかんきてん
細いくだの穴から天をのぞき見るように、
視野が狭く見識が足りないこと。
自分の狭い視野・見識で、
広大な事に対して勝手な推測をくだすこと。
狭い視野・見識の世間知らずの者が、
広い世間がわかったつもりになっていること。
「管(くだ)を用いて天を窺(うかが)う」ともよむ。
類語に「夜郎自大(やろうじだい)」「針の穴から天のぞく」
「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」などがある。




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